「臓器提供」
この言葉で、昔ある人の話を思い出してしまう。
「かなり前の話だが、知り合いが海外に行ったとき〔アジアだったと思う)
ゴミ箱をあさる若者がいる。
よく見たら友人の息子に似てるから、声をかけた。
わたり、友人の息子だった〔行方不明になっていた)
理由を聞いたら、「海外旅行に一人旅に来ていて
知らないうちに道路に捨てられていた。
ただ、胸、お腹に大きな傷跡が残っていた・・」
そうなんだ、海外旅行に一人旅に来ていて事故にあった。
男性は臓器を盗まれてしまったらしい・・・」
何故、大使館に行かなかったのか?
とか、の疑問は残るが・・・その話はずっと、残っていた。
中味のある、重みもある言葉だ
人間はそもそも、死んでしまったら再来はないと思う
生まれ変わらないのだと思う
今の時代に、良き人であるために「次に生まれたら・・・」とあり、
「死んだあと、地獄だ極楽だがあるのだと思う」
ただ、霊魂は存在し宇宙の源(中心)に、帰霊すると思う。
だから、体肉体は、結局日本なら火葬されるのだから・・
海外のように、再来ある国は土葬が多いのかもしれない
偉そうな、立派な人間ではないが・・・
死んだら、まだまだ役に立つものが私に残されていたら嬉しい
なかなか、正直勇気も無かった・・
しかし、そんな勇気のなかった自分にも後押しがあった
そして、自分のような臓器がいいのかも心配なこともあった
年齢的に・・しかし90歳までは大丈夫のようだ
喫煙もない、心臓、腎臓、肝臓、も一応元気・・・
眼球は大丈夫か?近眼で乱視、少々老眼もある
薬は「命の母」の服用・・・
あとは、解剖の結果になって、使える臓器と振り分けてくれるのかもしれない
家族には意志を伝えておこう
「おもうがまま」 かな・・
早速、ドナー登録をインターネットでしてみた。
しかし、インターネットは仮登録にすぎないらしい・・
臓器売買、家族への臓器提供のための自殺。
自殺者の臓器は提供を受付ないとあった。